ユネスコ南京大虐殺を歴史遺産に登録

(1) 歴史記憶遺産 南京大虐殺
(2) 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館(写真集)
(3) 辺見庸;1★9★3★7
※敬称略 ◆は参照報道、①〜はその要点


………(1) 歴史記憶遺産 南京大虐殺………

◆日本政府はユネスコ批判 「国際機関として問題」 南京大虐殺を歴史記憶遺産に登録(テレ朝)
http://5.tvasahi.jp/000060271?a=news&b=np
【外務省談話】
①中国の一方的な主張に基づいて申請されたもので、完全性や真正性に問題がある
②日本政府が随時、申し入れを行ってきたにもかかわらず登録されたことは、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾
【政府高官】
外交ルートを通じて中国とユネスコに抗議する

※安倍らは、自分と彼の仲間がA戦犯を合祀する靖国参拝で国際的非難を浴びると、極東軍事裁判の東京法廷に法的な疑念を浴びせて、その有罪判決を無効だと反抗してきた。

今回、ユネスコ南京大虐殺を歴史記憶遺産に登録すると、極東軍事裁判の南京法廷に法的な疑念を浴びせて、BC級戦犯に対する有罪判決を無効だと反撃し、日本が負担しているユネスコ経費の10%の拠出を来年は凍結すると騒いでいる。

◆『南京大屠殺檔案』が『世界記憶遺産名簿』に登録(新華社
http://jp.xinhuanet.com/2015-10/10/c_134700104.htm
①国連教育科学文化機関(ユネスコ)が『世界記憶遺産』として『南京大屠殺檔案』の新規登録を認めた。

②『南京大屠殺檔案』は三部構成
第一部は『日本軍憲兵隊内部報告書』吉林省檔案館(1937年12月〜1938年2月)
http://j.people.com.cn/94474/209640/index.html
第二部は『中国侵略日本人戦犯供述書と裁判記録』国家公文書局(1945〜1947年)
http://j.people.com.cn/94474/310904/311891/index.html
第三部は中華人民共和国司法機関の文書(1952〜1956年)。
【ビデオ】光と闇−−ドイツと日本の世界大戦反省録(人民日報)
(2) 日本の南京大虐殺と歴史教科書問題、ドイツの戦争犯罪否定言動懲罰法
http://j.people.com.cn/n/2015/0708/c94474-8917344.html
※このビデオは4部構成で各24分。
(1) 冷戦を利用して戦争責任を曖昧化した日本、ドイツ人は歴史と向き合おうとしていた
http://j.people.com.cn/n/2015/0708/c94474-8917298.html
(3) 日本軍国主義の象徴靖国神社、民族の歴史汚点と向き合うドイツ
http://j.people.com.cn/n/2015/0709/c94474-8917968.html
(4) ドイツの和解努力、日本の摩擦言動
http://j.people.com.cn/n/2015/0709/c94474-8917976.html

③中国が2014年に申請したもう一つの項目『「慰安婦」——日軍性奴隷檔案』は今度『世界記憶遺産名簿』に入選しなかった。


………(2) 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館(写真集)………

写真は2010年に撮影。

その後旧満州関東軍憲兵隊本部の地下埋設されていた憲兵隊内部報告書や憲兵隊から満州帝国に放置された北支事変、上海事変、南京事変の情勢報告日誌が30万ページ発掘され今年春に解読され公開されている。満州事変に派遣された関東軍憲兵憲兵本部に提出した日誌。


………(3) 辺見庸;1★9★3★7………
週刊金曜日、2015.10.2)

日本人には戦前も今も「権力者たちだけではなく世間のみなに配慮され、晒されてこなかった、目も耳も疑うほどのグロテスク」が脈々と流れている。

それはグロテスクとは「うらはらの秩序と統制」が「細かい網の目状の管理と「おもいやり」と自己規制と相互監視と無関心にうらうちされた、壮大な沈黙と忘却である」

1931年は満州事変という狡猾で壮大な中国侵略の年だった。
1937年は南京大虐殺と中国全土の侵略を開始し総力戦争が始まった年。
1941年は経済制裁をする米英豪蘭に宣戦布告してWWⅡを仕掛けた年。

1937年は「国家規模の一大乱痴気パーティや狂宴」を通して「善」(おもいやり、おもてなし)を溢れさせた日本人の同一人物が半年後には「想像力の限界をこえる「悪」」(虐殺)を大規模に組織的、反抗者もなく整然とやってのけた年であった。

「4月、米国の社会福祉事業家で盲ろうあの障害をもつヘレン・ケラーが来日し大歓迎をうけるが、歓迎式典のさいちゅうに、彼女の財布がぬすまれた。これを報じる新聞各紙の見出し―「“聖女”に不届き者」「盗まれた聖女に詫び―手紙と金が殺到」「日本はこんな国だと思わないでください」」

「それからさほどの月日もへていないのに(12月)「人間の想像力の限界が試される」ような大虐殺事件が中国でおき、新聞には「百人斬り競争」の記事が、「皇軍」兵士の誇るべき武勇談として写真入りででかでかと載っている」

「祖父たちはおびただしい数のひとびとを、じつにさまざまなやりかたで殺し、強姦し、略奪し、てっていてきに侮辱した」のだった。虐殺命令を拒否する日本兵はおらず、むしろ自発的衝動にかられて、残虐の快楽に浸りきったのだ。それを自慢する帰還兵が実に多かった。

1937年の日本では、ヘレン・ケラー事件に噴出した日本人の「善」と、虐殺と強姦と略奪を組織的に無慈悲に残忍に行う「悪」が「一つの寝床に、ふたつながら平然とよこたわって、むつまじく抱きあっている」。なんというグロテスク。

そのグロテスクさは「敗戦後もほとんど無傷で生きのこり、表面はじんじょうをよそおいながらも、まったくじんじょうならざるげんざいと未来を形づくっている」「慈愛と獣性は同一人物のなかで共存しうる―さかしらにそういったところでなんのやくにたつだろうか」

「おまえは上官の命令にひとりそむくことができたか」団体旅行で「多数者がレクリエーションにようにする強姦をおまえはぜったいにやらないと言い切れるか」「そうしている同僚を集団のなかでやめさせることができたか」「みなが声をそろえうたう“あの歌”を、心底、嫌悪することができたか」

そう自問することだ。(辺見庸