『日本は右翼化しない』と朝日は示唆するが、危険な騙し絵

◆(戦後70年)日本46%、ドイツ94% 被害与えた周辺国と「うまくいっている」 朝日新聞・日独世論調査
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11703500.html?ref=pcviewer
◆(戦後70年)村山・小泉談話「妥当」74% 朝日新聞世論調査
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11703460.html?ref=pcviewer
侵略戦争と反省した「村山談話」と「小泉談話」を「妥当」と考える人が74%に上った。一方「妥当でない」は13%に過ぎなかった。談話を否定する政治家の言動の度に、謝罪の意義が損なわれた。和解相手の隣国も歩み寄る姿勢を見せず、過去との取り組みにドイツのような国民的合意はない。
②何が日独の歩みの違いをもたらしたのか。日本には悪化した隣国との関係を冷静に見つめ、悪循環を断ち切る粘り強い努力が求められている。(朝日)

75%の日本人は穏健で自省的。ネットウヨすら話せばわかる人達で、『日本は右翼化しない』と、朝日は中韓も少しは自省すべきだと言いだした。

そんな朝日の立場なら、「悪循環を断ち切る粘り強い努力」をしても、本質的和解は不可能。和解が可能なら、とっくにできていた。朝日は「悪循環を断ち切る努力」は何でなければならぬかを隠している。だから「粘り強い」という形容詞句を挿入する。日本の説明不足と中韓の頑迷としか思っていない。

「悪循環を断ち切る努力」とは、低利子資金貸付などの貢献でも、平和活動を様々な人が努力してきたと言う説明でもない。そんなことは隣国が熟知している。「悪循環を断ち切る努力」とは、自省を拒否し、隣国を冒涜し、国内自省派を国賊と罵り、彼らに屁理屈を与える政治的団体を消滅させる努力だ。

「右翼活動家に屁理屈を与える政治的団体を消滅させる」はドイツが努力してきた内政である。日本においては、巨大な右翼黒幕団体と、靖国(あれを神社と言ったら、日本やアジアの土着信仰を冒涜する)や、そして安倍晋三他の政治家を公職追放するくらいでなければ本気とは言えない。

安倍晋三について朝日は「右翼でもなく、軍国主義者でもない、決断力がそう誤解させている」と言い始めている。権力迎合である。米国政権ネオコンも、豪州のネオコン首相も、「・・・だから、安倍と付き合っても、もう大丈夫になった」と公然発言している。そして安倍は演技し、朝日が宣伝する。

ジンギス・ハーンの蒙古のように、ファシズムは突然襲いかかりなどしない。柔らかいファシズムは許容されうる自由と思わせると、隣国をジェノサイドする手先にこき使われ、犬死するだけだ。そんな悲惨な終末を迎えるまで、民主主義の手続きを装いながら、マスコミを内部から支配してしまうからだ。

大日本帝国の日清・日露・シベリア出兵・ノモンハン事件満州傀儡帝国・北支事変・日中総力戦と南京大虐殺・太平洋戦争の期間を通じて、国内での民主的政治手続きと国民洗脳報道と政治家の優しい知的な人柄の演技を日本権力者がおこなったが、ヒットラーも全く同じであったことを思い出すがいい。

ドイツの日刊紙Frankfurter Allgemeine Zeitungの特派員Carsten Germis氏が5年間の東京駐在を終えて帰国する。彼は安倍政権に対する危惧の念を日本人という愛すべき民衆に残して帰国した。それを内田樹研究室が翻訳しブログに公開してくださった。一読して深い自省をさせられた。

以下の①〜⑯は抜書で、僅かに私が文章を短縮した個所もあります(Carsten Germisさんと内田先生ごめんなさい)。翻訳の全文は、この約3倍あります。内田先生の下記ブログをご覧ください。

◆「ある海外特派員の告白 5年間東京にいた記者からドイツの読者へ」Carsten Germis
(翻訳:内田樹研究室)http://blog.tatsuru.com/2015/04/10_1343.php
①日本は、2010年1月に私が到着したときとはもう別の国。日本で働く海外ジャーナリストたちの仕事が困難になっている。それは安倍晋三首相のリーダーシップで起きている歴史修正の動きによってもたらされた。この問題で日本の新しいエリートたちは対立する意見や批判をきびしく排除してきた。
②本紙は保守派でリベラルな市場志向的メディア。しかしそれでも本紙は安倍の歴史修正主義はすでに危険なレベルに達しているとする立場に与する。ドイツであれば、侵略戦争に対する責任を拒否するというようなことはありえない。ドイツは歴史修正主義につよい抵抗を覚えているからである。
③2010年、私の赴任時点で政権党は民主党だった。私は鳩山、菅、野田の三代の内閣をカバーし、彼らの政策を海外メディアに伝えようとした。海外ジャーナリストは頻繁に岡田克也副総理に招待された。首相官邸では毎週ミーティングが開かれ、当局者は私たちとの議論と厳しい質問を歓迎していた。
④反動は2012年12月の選挙直後に始まった。新しい首相の行政府はいかなるかたちでも公開性に対する好尚を示さなかった。財務大臣麻生太郎は海外ジャーナリストとはついに一度も話し合おうとしなかったし、巨大な財政赤字についての質問にも答えようとしなかった。
⑤エネルギー政策、アベノミクスのリスク、改憲、若者への機会提供、地方の過疎化などなど。これらの問いについて海外メディアの取材を快く受けてくれた政府代表者はほとんど一人もいなかった。そして誰であれ首相の提唱する新しい構想を批判するものは「反日」(Japan basher)と呼ばれた。
⑥五年前には想像もできなかったことは、外務省からの攻撃だった。安倍政権の歴史修正主義について私が書いた批判的な記事が掲載された直後に、フランクフルトの総領事が訪れ、「東京」からの抗議を手渡した。彼は「中国が」この記事を「反日プロパガンダ」に利用していると苦情を申し立てた。
⑦『金が絡んでいるというふうに疑わざるを得ない』とその日本外交官は言った。これは私とエディターと本紙全体に対する侮辱である。彼は、私が親中国プロパガンダ記事を書くのは、中国へのビザ申請を承認してもらうためではないかと述べた。私が? 北京のために金で雇われたスパイ?
⑧2012年、民主党がまだ政権の座にあった頃、私は韓国旅行に招待され、元慰安婦を訪ね、問題になっている竹島(韓国では独島)を訪れた。もちろん韓国政府によるPR活動である。私は外務省に呼ばれ、その島が日本領であることを証明する10頁ほどのレポートを受け取った。
⑨2013年、すでに安倍政権になっていたが、三人の慰安婦へのインタビュー記事が掲載されたあと、私は再び召喚された。今回もランチ付きの招待だったし、今回も首相の見解を理解するための情報を受け取った。
⑩2014年に事態は一変した。外務省の役人たちは海外メディアによる政権批判記事を公然と攻撃し始めた。首相のナショナリズムが中国との貿易に及ぼす影響についての記事を書いたあとにまた私は召喚された。彼らは私が引用した日本政府統計数値は間違っていると反論した。
⑪外務省の役人たちは、私が用いた「歴史をごまかす」(whitewash the history)という言葉と、安倍のナショナリスト的政策は東アジアだけでなく国際社会においても日本を孤立させるだろうというアイディアに対してクレームをつけた。
⑫口調はきわめて冷淡、説明せず譴責という態度だった。ドイツのメディアがなぜ歴史修正主義に対して特別にセンシティブであるのかについての私の説明には誰も耳を貸さなかった。
第二次世界大戦についての日本の見解を広めるための予算が増額(※年500億円)され、政府当局者から海外特派員へのランチ招待数が増え、海外特派員の本国のボスたちが、航空券付きで、しばしば招待されている。
⑭海外旅行の多さを自慢する安倍首相が海外特派員協会で私たち相手にスピーチするための短い旅についてはこれを固辞していると聞いてももう驚かなくなった。ただ、私の気持ちが沈むのは、この政府が海外メディアに対して秘密主義的であるだけでなく、自国民に対しても秘密主義的であるからである。
⑮北海道から九州まで東京以外の土地では私が日本に対して敵対的な記事を書いているという非難を受けたことは一度もない。反対に、さまざまな興味深い話題を提供され、全国で気分のよい人々に出会ってきた。日本は今もまだ世界で最も豊かで、最も開放的な国の一つである。
⑯私の望みは外国人ジャーナリストが、そしてそれ以上に日本国民が、自分の思いを語り続けることができることである。社会的調和が抑圧や無知から由来することはないということ、そして、真に開かれた健全な民主制こそが過去5年間私が住まっていたこの国にふさわしい目標であると私は信じている。

※私のこのブログにも2年前に元外務省関係者で首相官邸の要職を務める元外務事務次官の知り合いと名乗る方から、警告メールがあった。最初は私がブログに書いたことは間違いであるといくつか述べ、徐々に嵩じて最後は『無職の人間は少しは稼ぐ算段でもしてろ』であった。こんなところまで手を回す。