1945年9月2日無条件降伏署名

今日は 【1945年9月2日無条件降伏署名】の日で、日本が国際条約として降伏し、連合国の要求するポツダム宣言カイロ宣言などを無条件で受諾した日である。

◆日本無条件降伏文書
(1945年9月2日 東京湾の戦艦ミズーリ号甲板にて)

①米中英首脳が1945年7月26日に発し、後にソ連首脳も参加した『ポツダム宣言』の各条項が、日本の天皇・日本政府・大本営よって受諾され、それらの名代によって署名された。以下、米英中ソを「連合国」と記述する。

②日本帝国大本営は、国の内外を問わず一切の日本国軍および日本国の支配下に在る一切の軍隊に対して、連合国に無条件降伏を命令すること。

③連合国は、日本国の内外を問わず、一切の日本軍と日本人に対する敵対行動を直ちに終止する。全ての船舶・航空機ならびに軍用/非軍用の財産を保全し毀損を防止する。本国政府の諸機関は連合国最高司令官が命じ又は指示する一切の要求応じること。

④日本帝国大本営は、各軍隊の指揮官に対して、無条件で降伏する旨の命令を直ちに発すること。

⑤日本の全ての官庁・陸軍及海軍の職員に対して、連合国最高司令官の命令およびその委任機関が発した全ての布告を遵守し施行することを命じる。日本の全ての官庁・陸軍及海軍の職員は連合国最高司令官の命令およびその委任機関が解職を布告するまで、現状の地位に留まり、非戦闘的任務が命じられる。

ポツダム宣言』の各条項を誠実に履行すること。ならびに、『ポツダム宣言』を履行するために、連合国最高司令官または他の特定の連合国代表に要求された事項の一切の措置を天皇日本国政府および其の後継者に命じ、履行させることを約束する。

⑦日本帝国政府および大本営に対して、全ての連合国俘虜および被抑留者を直に解放することを命じる。かつまた、その保護・手当・給養および指示された場所への即時輸送措置を命じる。

天皇日本国政府の国家統治権限は、本降伏条項を実施する為に適当と認められる措置を執るところの、連合国最高司令官の制限下に置かれる。

【以下、署名】
(1) 千九百四十五年九月二日午前九時四分日本国東京湾上ニ於テ署名ス
大日本帝国天皇陛下日本国政府ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ 重光葵
・日本帝国大本営ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ 梅津美治郎
(2) 千九百四十五年九月二日午前九時八分東京湾上ニ於テ合衆国、中華民国、聯合王国及「ソヴィエト」社会主義共和国聯邦ノ為ニ竝ニ日本国ト戦争状態ニ在ル他ノ聯合諸国家ノ利益ノ為ニ受諾ス
聯合国最高司令官 ダグラス、マックアーサー
・連合国代表 合衆国、中華民国大英帝国ソ連、豪州、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド

ポツダム宣言(1945年(昭和20年)7月26日連合国首脳)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80

①日本国に対して今次の戦争を終結する機会を与える

②日本国に最終的な打撃を加える軍事態勢が整った。その軍事力は日本の全抵抗が止むまで戦争を遂行する決意によって構築されたものだ

③5月に「ナチス」ドイツが荒廃に帰した結果よりも更に重大な攻撃(原爆投下とソ連軍参戦)が日本に対して準備された。連合国の軍事力を最高度に使うなら、日本本土は完全に壊滅することを日本は認識すべきだ。

④日本の決断は二者択一である。
無分別な打算を今後も繰り返し、日本帝国が滅亡の淵に陥るまで、傲慢なる軍国主義者に寄りかかるのか/又は理性を回復して日本の国カ再建に転じるのか。

⑤連合国の日本に対する条件を次に述べる。連合国は以下の条件からの一切の逸脱や遅延を認めない。条件の一部を否定することや、条件の解釈変更を認めない。これは最後通牒である。

連合国は、日本国国民を騙し、世界征服の挙に出るという過誤を犯させた者の権力と勢力を永久に除去する

➆(軍国主義者と同調者が駆除され、理性的で平和主義の)新日本に生まれ変わるまで、連合国は日本占領を続ける。

「カイロ」宣言の条項は履行されねばならない。また、日本国の主権は本州、北海道、九州及四国並に「連合国が決定する諸小島」に局限される。

⑨日本軍は完全武装解除されたのち、兵隊の各自には家庭に戻り平和で生産的な生活を営む機会が与えられる。

⑩連合国は、連合国の俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人は厳重に処罰する。日本政府は国民の民主主義的傾向を復活させ強化するための一切の障礙を除去し、言論・宗教・思想の自由並に基本的人権の尊重を確立しなければならない。

⑪日本の経済を維持し、公正なる賠償金を支払うための産業は維持を許可される。ただし、再軍備につながる産業の維持は認めない。これらが実現された将来において日本は貿易に復帰を許可されるだろう。

⑫以上の諸目的が達成され、かつまた、日本国民が自由に表明できるようになり、更にまた、平和的傾向のある責任政府が樹立されたならば、連合国は占領を解除し撤退する。

⑬日本政府が自ら完全武装解除し、無条件降伏を宣言し、かつまた、完全武装解除と無条件降伏の諸条件を遵守し履行する誠意を行動で示し、その完全達成を保障する証拠を提出することを要求する。この要求に応じないことは、日本国が完全なる壊滅を自ら選択したことになる。

カイロ宣言(1943年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%AD%E5%AE%A3%E8%A8%80

①米英中の三首脳が以下に述べる対日戦争方針を協定した。

②米英中は野蛮な敵国に仮借なき弾圧を加える決意を表明した。その体制は整いつつある。

(連合国は)日本国の侵略を制止し処罰する戦争をしているのであって、利権や領土の獲得を目的としていない。

④日本国が1914年の第一世界大戦開始以降において奪取か占領した太平洋の島嶼の全てを剥奪する。また、満洲・台湾・澎湖島のような、日本国が清国人より盗取した一切の地域を中華民国に返還させる。

⑤また、暴力と貧慾によって略取したすべての地域から、日本は駆逐されなければならない。

⑥米英中は朝鮮人民の奴隷状態に留意し、朝鮮を自由な独立国にする決意である。

⑦米英中は日本と交戦中の諸国と協調して、日本が無条件降伏するまで長期戦争を持続させる。

国連憲章敵国条項

敵国=日、独、伊、ブルガリアフィンランド(タイは日本に脅迫されて加盟を余儀なくされたと認定)

敵国が戦争の結果確定した事項に対する違反や侵略政策の再現行動等を起こしたら、国連加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可なく、当該国に軍事的制裁を課すことが容認され、この行為は安保理も制止できない。

日本に関して戦争の結果確定した事とは、カイロ宣言遵守、ポツダム宣言遵守、日本全面降伏文書遵守、ポツダム宣言に規定した日本領土局限化の遵守、極東軍事法廷判決遵守、再軍備禁止、平和憲法の遵守等

安倍による「尖閣実効支配」はポツダム宣言に違反する。広大な大陸棚の半分を分捕ろうとする軍事行為もポツダム宣言違反である。それらを「中国に取られる、攻めてくる」と日本国民のナショナリズムを煽る。その行為は国連憲章が予想した日本帝国主義の再発である。

ポツダム宣言に違反する行為は日本の降伏を無効にする。WWⅡの戦争状態が、国際法上は再現されることになる。それを国連憲章は想定し、「敵国条項」として憲章の数十か所に埋め込み、「敵国条項」の廃止を不可能にしている。

◆日中基本4文書1 日中国交回復共同声明(1972年 田中角栄首相と周恩来首相)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html(外務省HP)

①日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。

日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。

中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、『ポツダム宣言第八項』※に基づく立場を堅持する。
※日本国の主権は本州、北海道、九州及四国並に連合国が決定する諸小島に局限。

中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。

日本国政府及び中華人民共和国政府は、両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。

1972年9月29日、北京にて
日本国内閣総理大臣    田中角栄(署名)
日本国外務大臣      大平正芳(署名)
中華人民共和国国務院総理 周恩来(署名)
中華人民共和国 外交部長 姫鵬飛(署名)

(補足)日中国交回復共同声明の③項に「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である・・・日本国政府は・・・『ポツダム宣言第八項』に基づく立場を堅持する」と書き込まれた経緯;

中華民国台湾は国連から除名され、中華人民共和国が国連の中国代表となり拒否権を持つ常任理事国政府になった。しかし周恩来蒋介石と戦争する気はなかった。時間が解決してくれるだろう。だが、大原則として「台湾は中国の不可分の一部」は譲歩できないという中国内部事情の理解を田中に求めた。

田中はそれを理解し、台湾との国交断絶を約束した。同時に台湾と日本の非政府組織交流は黙認する、ただし中国政府機関の視界の中にその組織が見えないようにしてほしいと周恩来。その結果、台湾の中華航空は羽田に、北京の中国国際航空は成田になった。

「釣魚」「尖閣」についても議論された。田中角栄は「尖閣日本領」を認めてもらえないかと一応主張したが、大陸棚の端にある同島を日本領と認めるわけにはいかない周恩来。田中は自民党内の右翼が「日中国交回復共同声明」の中で約束する「日中平和友好条約」の批准を拒否すると実情説明。

周恩来は「釣魚」を北京の一存で決めると蒋介石も煩いと中国内部事情を説明した。ここで後の「主権論争棚上げ」の原型が成立している。「釣魚」「尖閣」の対立を明示せず、「日本はポツダム宣言第8項を遵守する」とだけ共同声明に書き込まれた。

ポツダム宣言8項は❶「カイロ宣言履行(WWⅠ以降の日本植民地放棄)」と➋「日本領土を比較的に大きい4島に局限し、付属する小島の帰属は連合国が決定する」に分かれている。日本の右翼は❶のカイロ宣言の無効性に戦術を絞って理屈の構築に熱中していたから、➋は盲点となっていたからだ。

田中首相の失脚後を継いだ福田赳夫岸信介の派閥に属し「タカ派」であった。彼は台湾を重視し、韓国の軍事政権と大陸棚油田の共同開発を打ち出して北京を怒らせた。北京の怒りは尋常ではなく、国際法違反だと問い詰められ、福田赳夫は誤りを認めて、日中平和友好条約の締結に漕ぎついた。

その日中平和友好条約の冒頭に「1972年9月29日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が発出した共同声明が両国間の平和友好関係の基礎であり、その共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されること」と明記された背景には、政権が代わると約束した前提を翻す日本政界への警戒がある。

その後の、日中共同宣言(1998年小渕恵三首相と江沢民国家主席)(2008年福田康夫首相と胡錦濤国家主席)と昨年の共通認識表明(楊潔篪国務委員と谷内正太郎国家安全保障局長)でも1972年日中共同声明日中関係の大原則として忠実なる遵守を再確認している。

後になって➋に気づいた右翼は「尖閣実効支配」に乗り出し、中国のナショナリズムを怒らせた。しかたなく訒小平が「棚上げ」を明示したが、日本右翼は納まりがつかないどころか、それを対中国戦争の口実に利用しようと考え、国連憲章敵国条項」と衝突し、安倍が南中国海に戦場を移動させた。

◆日中基本4文書2 日中平和友好条約(1978年)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_heiwa.html(外務省HP)

①日本国及び中華人民共和国は、次の事項を確信した
・1972年9月29日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が発出した共同声明が両国間の平和友好関係の基礎であり、その共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきこと
国際連合憲章の原則(敵国条項を含む)が十分に尊重されるべきこと

②双方は次の希望において一致した
・アジア及び世界の平和及び安定に寄与すること
・両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため平和友好条約を締結する

③双方の全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。 (以下省略)

◆日中基本4文書3 平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言(1998年 小渕恵三首相と江沢民国家主席
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_sengen.html(外務省HP)

◆日中基本4文書4 戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明(2008年 福田康夫首相と 胡錦濤国家主席
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/visit/0805_ks.html(外務省HP)

◆日中4項目共通認識(楊潔篪国務委員と谷内正太郎国家安全保障局長;2014年11月7日 )
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2014/647.html

・・・ここでも1972年日中共同声明からの4声明をに日中関係の大原則として忠実なる遵守を再確認している。