日本は化け物屋敷

私は、日本が「お化け屋敷」であって、木戸銭払って肝試しに来日する欧米の王子、首脳、その夫人が見たものは「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と書きました。

それは安倍と言うしょうもない男の、担ぎ上げられて有頂天になった愚かな小人の姿であっても、彼を担いている日本の幽霊本舗はそんな表現が通用するような生易しいものではないのです。そのことを森達也さんと中村文則さんが対談(週刊金曜日2015.3.30)で語っていますので引用させていただきます。

(中村)今の日本って、よくできた独裁政権だとおもってるんですよ。制度としては民主主義だけど、現実としては独裁に近い・・・戦争したくないと本気で思うなら、今は待ったなしの状況・・・森さんは、将来的にはもう悲観しかないと思いますか?
(森)うん、ないです。
(中村)やっぱり・・・(苦笑)。

(森)明るい材料は何もないです。ならば行き着くところまで行くしかないかな、と思っている。行き着いたところがどの程度のカタストロフィー(破局)なのかはわからない。最悪の場合、何千万人もの死者がでるかもしれない。人は言葉を求める生き物です。つまり号令ですね。それも短い指示。こうして外に対して強気な言動を駆使する為政者が支持される。世界同時多発テロの後のアメリカは、集団化の特徴をとても端的に表しています。そしてそればオウム後の日本にも発動していました。アメリカは動きが急だけど復元力がある。ブッシュは史上最低の大統領として任期を終えた。日本は復元しない。均質だから集団と相性がいいのかな。今も加速しています。

(中村)3.11のときに気になったのが、被災地泥棒の話。そんな奴なんか撃ち殺してしまえ、っていう発言をごく普通の人達が、平然とした口調で言うのを聞いたとき、これはちょっと怖いぞと思ったんです。あのときの日本は「善」に包まれていたんですよ。助け合い、それこそ「絆」ですよね。そういうときこそ、異物に対する攻撃はより強くなるのかもしれない。排除の意識が働きやすいというか、全体主義の気持ちによって「異物を排除する」っていうところもありますしね。
(週間金曜日2015.3.30)

この心象風景の原像を辺見庸さんが提示している(週刊金曜日20153.20)・・・
故郷では妻子もあり立派に暮らしているはずなのに、戦場(日中全面戦争1937〜)では自分をみちびいてゆく倫理道徳を全く持っていない人が多かったのです。住民を侮辱し、殴打し、物を盗み、女を姦し、家を焼き、畠を荒らす。それらがなんのこだわりもなく行われました。無用の殺人の現場も何回となく見ました。・・・二十人ほどの分隊が「食料あさり」に出動すると、二人の農民らしい男がやってくる。一人は小さな紙の日の丸の旗を持っていた。一人が分隊長に日本軍に逆らわない「良民」である証明書をしめし、分隊長は「よしよし」と言って通過を許可すると、中国人二人はなんども頭をさげてうれしそうにあるきだす。すると、分隊長はニヤリと笑い、「やっちまおう」とささやき、兵士たちに「おりしけ!」と命じる。「おりしけ」とは旧軍で、右の膝を曲げて腰をおろし、左膝をたてた姿勢で銃をかまえることである。「兵士たちは苦笑したり顔をゆがめたりしながら射的でもやるようにして発射命令を待っています」。その兵士たちのなかに(武田)泰淳もいた。発射命令。一人は棒をたおすようにたおれ、一人はまだ手足をピクピクうごかしていたが、身体に銃口をおしつけて留めが発射される。・・・「私は自分を残忍な人間だとは思いませんでした」「罪のない罪なら人間は平気で犯すものです」――と(武田泰淳が)告白する。
「だからね、中国側としては、現在日本の軍国主義が復活することを警戒する気持ちが強いんですよ。倫理的とか、道徳にそわないという意味でいっているんじゃなくて、中国人としは生理的に耐えがたいんですね。なんでも(日本の)軍国主義に関係のあることは、とっても耐えられない」(武田泰淳

同じ残虐行為をベトナムイラクで無数に犯した米国の海兵隊員の半数は帰国したのちにPTSDに憑りつかれ、その医療費の国家負担は直接戦費を上回り、今も米国政府財政に重圧を加えていると言われる。しかし、全く同じことを延べ数百万の兵隊が犯してきた日本軍兵士の敗戦後にはそのようなPTSDの深刻な症状を聞いたことがない。いい悪でではなく、それがアメリカと日本の道徳的な復元力の有無を如実に突き付けているのだろう。日本社会では絆という善意すら集合すれば無表情に「異物」を踏み潰し、そのあとで自責の念にかられる人間がいないという特質があるのではないか。私も50年前に村の名士となっていた人物から、中国人を嬲り殺した経験を「得意げに自慢されたことが何度もあった。・・・そんな化け物屋敷である日本は、もの珍しさや、度胸試しに、覗ける代物ではないが、その見世物小屋の入り口では今日もにこやかに、愛想を振り撒き、木戸銭払って入んなさいよと誘ってやまない今日である。