台湾の政権交代と蔡英文

※敬称略 ◆は参照報道、①〜はその要点

蔡英文を党首とする野党民進党が圧倒的支持を得て勝利した。台湾は二度目の「政権交代」を果たした。民進党蔡英文は「台湾独立志向」であり、それが台湾社会から圧倒的な支持を得て、「総統」に選ばれたという日本報道は少々危険なイデオロギーに毒されている気がする。

少なくとも国連の土俵において「台湾」という国は存在しない。中国の中の台湾地区ないしは台湾省なのだ。中華民国政権が国連常任理事国から追放され、中華人民共和国常任理事国となった時に、台湾は中国の一地方になっているからだ。国際法上は、「総統」ではなく「省長」というべきなのだろう。

しかし、北京は台湾の扱いに慎重である。新疆ウイグル自治区のように華人をして経済建設を加速させる政策は、経済格差を際立たせ、現地で権力闘争となり、テロ事件にまで発展する可能性があるからだ。

台湾学生による行政府占拠も、台湾企業が大陸に空洞化したことによる経済格差問題が根本にあった。学生たちは格差是正要求から政治イデオロギーへと先鋭化し、母体であった野党民進党内もその扱いで紛糾した。その紛糾を蔡英文が中庸で現実的な路線をもって抑え勝利した。

蔡英文は中国の名門客家の人である。台湾独立を主張したかに見える李登輝も名門客家の出身である。二人は共に国民党の総統と閣僚になっていた時期がある。李登輝福建省などから2百年ほど前に渡来した中国人の自存意識に飲み込まれて、台湾独立を掲げるに至り、国民党から追放された。

国民党は70年前に大陸での内戦に敗れ、台湾に逃れてきた新参者であるが、台湾経済を高度成長させた台湾企業は、大陸の開放政策に応じて大陸に里帰りして空洞化した。ほとんどが国民党系である。李登輝が台湾独立に傾き、その後の民進党も同じ傾向を出すと、台湾企業は一斉に大陸に里帰りした。

台湾企業の空洞化は台湾内の格差を拡大させ、一部富裕層が起こした不動産バブルが学生や庶民を困窮させ社会不安になった。馬英九は彼の新自由主義的性格から、台湾企業の空洞化を中国企業誘致で埋め合わせることで、格差是正しようとしたが、トリクルダウンは無く、社会の反感を助長させた。

その時点で、国民党内では馬英九立法府議長の対立が先鋭化し告訴に発展し、学生による行政府占拠が社会不安を一挙にたかめた。一方、野党民進党内でも政治イデオロギーを先鋭化させた学生の扱いを巡って党首がぐらついたが、国民党から民進党に鞍替えしていた蔡英文がそこに中庸を説いたのだ。

蔡英文は「現状維持」を公約に据えた。単純に言えば中庸の精神で実利的対応をとなるらしいが、馬英九との違いは、両岸関係・経済運営・尖閣問題・南中国海問題でも見出しにくい。

米国で教育を受け、米国で弁護士となり、今も米市民権を持つ馬英九が「トリクルダウン」で格差は是正されると考えたであろうことに疑いの余地は無い。英国で博士号を取った蔡英文は「トリクルダウン」の虚妄を知っているだろうとは思う。あえて違いを言えばその点であろう。

「トリクルダウン」を信じて格差是正に失敗した馬英九に対して、蔡英文は「所得再配分」という社会主義的政策を取るかには疑問がある。台湾企業が国際化し空洞化したその行く先は欧米ではなく「大陸への里帰り」である。そこで中庸で実利的な政策を見出すには、自意識を抑える必要が付き纏うからだ。

その苦悩を米国政府は認識している。米国が台湾独立を煽るか、大陸に対する台湾の尊厳確保を支援するなら、米中関係も不安定化を増し、中国経済を利用して米国経済を立ち直らせる、軍事ではない経済の「アジア回帰」が失敗するからだ。

米国政府が台湾と大陸の摩擦を恐れていることは、学生が立法府を占拠し、更に行政府占拠に及んだ時に米国の台湾窓口機関(大使相当)が即座に学生を非難したことからも明確。その点でオバマ政権は安倍政権の扇動的発言に神経をとがらせているし、日本マスコミ報道も監視されているだろう。

結局、蔡英文の課題は台湾社会が妥協可能で大陸も安心する「格差是正」対策を見出すことができるかにかかっている。馬英九政権が提案している「台湾企業の空洞化を大陸企業誘致で埋め合わせる」に少しトリクルダウンさせる政策を加味し、不動産バブルを抑え、可能な所得再配分を行うことになる。

大陸に里帰りした台湾企業がUターンする政策はほとんど不可能である。大陸に空洞化した台湾企業は「一帯一路」経済ベルト建設に乗り、ユーラシア大陸全体に広がろうとしている。すでに多くの台湾企業がASEAN各国に大規模な工場を中国企業と共に建設している。

不動産バブル対策と所得再配分を進めながら、「一帯一路」の具体的プロジェクト企画を行いAIIBに提案し、AIIBの内部で促進させることを、台湾に残ったヘッドクオーターにさせることによって、経済運営の建設的な面を盛り上げるしかないように思われる。

最大の障壁は、台湾独立といえば語弊があるが、台湾社会の伝統と郷土愛に対する過度な尊厳要求であろう。それは人間関係に摩擦を起こす。馬英九は最大の利益を得るためにはプライドも隠した時期があるが、蔡英文にはそんな内部葛藤を繰り返しながらも対話によって成長することを期待する。

(参照報道)
◆One step from a new era’: Taiwan voters likely to elect first woman president(WP)
https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/one-step-from-a-new-era-taiwan-voters-likely-to-elect-first-woman-president/2016/01/15/5ab2f6e0-b952-11e5-85cd-5ad59bc19432_story.html?tid=sm_tw
台湾総統選きょう投開票 初の女性総統誕生か(テレ朝)
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000066341.html
台湾総統選で野党・民進党主席が勝利 初の女性総統に(BBC)
http://www.bbc.com/japanese/35333169
民進党政権は陳水扁政権(2000年〜2008年)以来。独立志向で中国関係が悪化
②現職の馬総統は、中台関係改善を主張し08年当選
③しかし馬政権の経済政策で経済格差が広がった不満から、今回の総統選では民進党が支持を伸ばした
民進党蔡英文主席(59)「台湾の人々に新時代を追求する決心があれば、すべてのことを乗り越えられます」
⑤国民党・朱立倫主席(54)「民進党政権では中国との関係が不安定になる」
蔡英文は大陸との関係を「現状維持で挑発などしない」と明言している。

◆RT @CCTVNEWS
Chinese mainland says it will continue to uphold the 1992 Consensus and oppose "Taiwan independence"
➀中国の大陸側は1992年合意を堅持し、台湾独立には反対し、1992年合意「一つの中国」を認める政治権力となら協議を進める。

◆米、蔡主席と緊密連携へ=中台対話の継続支持−台湾総統選(時事)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2016011600299&utm_source=twitter&utm_medium=jijicom&utm_campaign=twitter
➀米国務省カービー報道官声明「米国は中台間の平和と安定の継続という深甚な利益を台湾の人々と共有している。共通の利益促進に向け、蔡氏と連携できることを心待ちにしている」。

②ローズ副補佐官も記者団に「われわれは両岸(中台)の良い関係を支持してきた。誰が(選挙で)勝利しようとも、対話を通じて平和的に問題を解決すべきだ」と強調していた。

③独立志向の蔡主席が対中関係を停滞させれば、中台間のバランスを基本とする外交戦略が困難になるとの見方も米政府にある。

尖閣「台湾に主権」、南シナ海問題国際法通じ解決を」−蔡氏(時事)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2016011600337&utm_source=twitter&utm_medium=jijicom&utm_campaign=twitter
➀日本がポツダム宣言第8項を無条件受諾し、米国が尖閣の暫定管理を放棄した時点で尖閣は釣魚に戻り、連合国である中国の領土に戻された。釣魚の地籍は中国の台湾省に置かれている。

②南中国海問題はフィリピンやベトナムなど不法占領している国が撤退し、大陸中国も軍事基地化をひかえ、周辺国との漁業協定と共同パトロールや海底資源共同試掘協定を締結すべきだ。同時に、国際法(すなわち南中国海もポツダム宣言8項対象)によって周辺国と協議し解決されるべきだ。

尖閣、南中国海、一つの中国;これら全てにおいて、蔡英文馬英九に寸分の違いも見い出せない。馬英九の失敗は経済運営だったのだ。台湾企業が大陸に空洞化し、台湾社会の貧困格差拡大と台湾内就職難に対する対策を怠ったこと、それについて国民党内を分裂させ対立抗争させたことが失敗の原因。

◆台湾世論は蔡英文氏と民進党が両岸・経済問題を適切に処理せねばならないと指摘(新華社
http://jp.xinhuanet.com/2016-01/18/c_135020549.htm
台湾大学政治学科の王亜立教授「民衆の期待が大変高いが、実際の成果を出さなければ、期待はすぐ失望に変わる」

台湾大学政治学科の張亜中教授「両岸関係の核心は『九二共識』だが、民進党はこれに対する姿勢を明確にしたことはなく、蔡英文氏と民進党は『挑発せず、予想外のこともないようにする』現状維持による両岸安定をどのようにすればやり通すことができるかをはっきりさせていない」

中国時報論説「国民党がすでに完成させた両岸のサービス貿易協定、また協商の完成に近づいた貨物貿易協定は、もし民進党が採択しなければ、輸出の40%が中国大陸市場向けである台湾に不利な影響をもたらすだろう」

上海市台湾同胞投資企業協会の李政宏会長「湾のビジネスマンはサービス貿易協定が即急に採択され、貨物貿易交渉が加速され、両岸の両会(台湾の海峡交流基金会と大陸の海峡両岸関係協会)の会談が深まり続け、各項の新たな協定が発展的に行われるよう期待している」

◆日米は台湾でウクライナのシナリオを再現できるか?(sputnik)
http://jp.sputniknews.com/asia/20160118/1452296.html
➀米国の中国封じ込め政策で台湾を利用するという誘惑が生まれることに疑いはないだろう。

②この対中ゲームでは、日本が重要な役割を担う可能性がある。日本はすでに経済協力で、ベトナム、フィリピン、インドを対中戦線に引き込んでいる。このシナリオで進展した場合、ウクライナと同じようなことが起こる恐れがある。

③米国と日本が台湾の分離独立機運を支持し、台湾を中国から「引き抜く」試みを実施した場合、ウクライナ以上に悲劇的なことが起こりかねない。少なくとも、台湾経済が打ちのめされるだろう。そして日米の試みを、中国が軍事力で阻止するという非常に黙示録的なシナリオも除外できない。